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夜中にギャーを考える

夜中に何か恥ずかしいことを思い出してギャーッとかなんとか叫んでしまう現象について考える。

わが恥多き人生を振り返ったときに、良心に照らして恥ずかしいこととか人間として恥ずかしいことというのは当然多々ある訳だが、そういう本当に恥ずかしいことは「夜中にギャー」の対象にはならない。

それはもう、本当に良心とか、信仰を持つ人であれば神様と話をするしかない問題で夜中にわめいても叫んでも仕方がないことだから出てこないのかもしれない。

ともかく、夜中にギャーのネタになる恥ずかしい出来事というのは、中学生ぐらいから今に到るまでの人生の各所で次々と製造しているのがランダムに出てくるわけで際限がないのだが、大方は実にくだらない、自分以外は誰も覚えていないだろうことである。

そのくだらないネタを個々に検討してみると、上述のとおり本当に自分の良心に照らして恥ずかしいことというのはほとんどない。そうではなくて、そこにいた他者に感情移入して、今更ながら自分を軽蔑したりアホかと思う。他者になり代わって自分を裁く。要するにその時は気にしていなかった他人の目を今になって気にしているのである。その場に居合わせた誰かに「こんなふうに思われた」であろうことを恥ずかしがって私は毎夜毎夜ギャーと叫ぶわけである。

今、その時は気にしていなかったと書いたけれど、本当に気にしていなかったなら記憶にも残らなさそうなものだが、覚えているということはどこか何かが心にひっかかってはいたのかも知れない。それはもしかしたら一瞬ちくっと「あれ?こんなことしてこの人はどう思うかな?」と思いながら流してきたことかもしれない。あるいは周囲の顰蹙を覚悟で自分の主張を通したけれど後から思えば周囲が正しかったような気がするというのもあるかもしれない。

いずれにしても、その回想に出てくる人々は、なんせ今までの人生全てで出会った人だから、ほとんどの人とはもう交流がない。だからほとんどの場合、その過去の自分の恥ずかしい行いによってどう思われたとしても、もはや自分の人生にはなんの影響もないのである。その人の自分に対する評価が自分のアホのせいで低いままだったとしても別に痛くも痒くもない。

思うにあの「ギャーッ」とか「やめて!」(←過去の自分に対して)は、若気の至りの数々を振り返って多少なりとも世間知を身につけた自分がもう一度あの日に帰ってこっそりあの馬鹿な過去を消してましなものに修正したいのだけどそれがかなわない、でもあきらめきれない心の叫び、なのかもしれない。

で、私としては以上の考察踏まえて冷静に考えるに、「過去を塗り替え願望」を徹底的にあきらめることによって、「夜中にギャー」を多少なりとも軽減できるのではなかろうか。

もう、そのことについてはあきらめたまえ。今も昔もこれからも君はずっと馬鹿なままなのだ。ただ一つ救いになるのは、そのことと本当に恥ずかしいことは関係ないということだ。人間として本当に恥ずかしかったことに関しては、ギャーなんかにはなんの関係もなく自分の心や神様と話をするしかないのだ。

ということで、こうやって気になっていたことを言語化したことによって、今晩からギャーが軽減されるのかどうか、ちょっと確かめてみたいと思います。
by warabimochi57 | 2010-02-02 21:23

謹製 さつき


by warabimochi57