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術後7年

ちょっと軽く咳をしただけで呼吸器外科の先生からは「うん?その咳は?」とチェックが入った。「いえちょっと風邪気味で」と言葉を濁す。左肺の上半分を切除する手術から7年、今年も定期検診を異状なしでクリアすることができた。朝CTを取って午前中には先生と一緒にその画面を見る(見てもわからないけど)。以前はCTの結果が出るのにもう一度足を運ぶ必要があったのに。7年の間には医療技術も更に進歩し続けている。

7年前、癌の診断が下った時、実家には小学生の姪が来ていて子どもの前で話したものか考えたものだがその子らは大学生になり、今自分が死んだらこの子は私を覚えていないだろうと思った幼い甥は春から4年生に、影も形もなかった姪は年長さんに、そして元気だった両親はそれぞれに倒れたり年老いてでもなんとか今も普段は二人でやっている。どうか2年生き延びて留学したいと切望してアデレードに渡り、英語にも言語学にも四苦八苦してどうにか修士をもらって、帰ったら仕事はなくてまた転職を重ねて、その間にネットを通じて知り合って急速に親しくなり、何も説明しなくてもお互いに言いたいことがわかって気を使うこともなくいられた同い年の友人は、私よりずっと後に発病したのにあっという間に病気が進行して亡くなってしまった。元気に生き延びられたという喜びはいつも「でもあの人がいない」という悲しみと裏腹で、今回たまたまこっち側にいる自分も次はあっち側に渡る番かも知れない。遅かれ早かれそのうち順番が来るという思いに、しかし私は救われてもいる。

言語学に目を開かれた大阪外大は阪大に合併されてしまった。しかし春からまた私は、科目履修生として阪大に通う。外大時代にお世話になった杉本先生があと1年で退官されるその最後のゼミに間に合うことができた。生き延びたら生き延びるだけまた欲が出る。欲張るという贅沢な楽しみがある。最近は老眼やら更年期に悩まされることも増えてきたけれどぼちぼち折り合いをつけていこう。そして死ぬ時には「ちゃんちゃん」とつぶやいて死ねるようにネタを、いや精進を重ねたいと思う。とりあえず若いもんに、いや現役学生に取り残されないように、科目履修の認知意味論演習だったかなんかそんなのを、ぼちぼちがんばりたいと思います。あと7年また生きるぞ。無理するなよ。(自戒)
# by warabimochi57 | 2013-03-25 22:35

街中の北向き

そんな訳で京都の宇治に近い山の中を脱して大阪と京都の真ん中辺りの、モノレールの駅にも近い街中に引越して来ました。道路沿いの北向きのアパートは寒くてうるさい。しかし大きな窓が二方向にあって明るくて(無駄に)広く、後は本を片付ければ引越し完了。これは週末にやる。引越しの直後のEverything is under my control感は、いろいろと清掃業者が手を抜いたなとか、台所のシンクの下がカビ臭いとか収納が足りないとか不満はあっても楽しいもので、そしてやっぱ街中だけあって便利で、順調に新生活をスタートしています。

「科目履修生」というのが募集されたらすぐ出願しようと思ってアデレードから成績証明も取り寄せ(実家に届くはず)、勤め先にも四月から週一で学校に行きたいと根回ししました。ジュリーの引退には間に合うはず。(スルー推奨)

先日二度と取り返しのつかない人間関係という物について思いを巡らす機会があって、生別死別も既にたくさんあるのに今後も増えていくに違いないのだけれど、それを思えば言語学はまだまだこれからもやり直せるしいっぱい勉強できるよなあと思うとなんか嬉しくなってきた。科目履修生とはいえ一応試験もあるので落ちる可能性もある訳だが、まあそれはないということで、いろいろと楽しみな新生活です。

一週間ほどネットがつながらなくて、掃除したり忙しく快適にしていたのですが、ネット環境が復活したらまた途端に張り付いているのも困ったもので、ネット依存については、今年は少し意識的に離れる時間を増やしたい。家賃もわずかに上がったのでバイトでもしたいけど勉強する時間も確保できるだろうか。いやそれだけはどういう状況でも確保したいしするのだ!ということにしておこう。

寒いので寝よう。3つの部屋に2つしか照明がないのもよく眠れていいよねということで、おやすみなさい。
# by warabimochi57 | 2013-01-24 22:54

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

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昨年は人間関係で躓いたり、気の早い友人が逝ってしまったり順調とは言いがたい一年でしたが、一方で仏像を見て歩く楽しみを見つけたり、友人達と奈良や鞍馬を歩いたり、またパプアニューギニアでお世話になった友人と再会したり、楽しく慌しく過ぎた年でもありました。おかげさまで一昨年末に倒れた母は順調に回復しまして父ともども穏やかな正月を迎えております。

京都に住んでまもなく2年になりますが、今年は心機一転、再び大阪に引越してそして念願の言語学を再開したいと思っています。まずは4月から科目履修生に、そして夏かもしくは冬には再び大学院生になるべく試験に臨みたい。という訳で、今引越しの準備で慌しく部屋が最悪にとっ散らかったまま新年を迎えました。でも田舎育ちで見よう見まねで覚えたお節は毎年ぼちぼち作っております。

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一足先に彼の岸に渡った友人を思うときはいつも、迷わずやりたいことをやれと叱咤する声が響く。先のことを思い煩うことをやめて今ある手札で勝負を賭けたい。

とりあえず、この部屋の混沌を片付けることから始めようと思います。謹んで初春のお慶びを申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
# by warabimochi57 | 2013-01-01 15:27

バレエで話す人々

日本語が一言もできないフィンランド人を、フィンランド語はもとより誰も英語を話す人もいないバレエ教室に置き去りにして帰ってきた。

ベンラは職場に1ヶ月の予定で滞在していて、京都市内のウイークリーマンションに住んでいるのだが、1ヶ月の間にもバレエに通うのだといって、道を歩いていてバレエ教室を自分で見つけてきた。そして職場の学生に頼んで電話をして問い合わせてもらい、体験レッスンにその学生がついていくことができなかったので私にお鉢が回ってきたのである。職場に滞在する外国人の世話をするのは私の仕事の一環なのだが、さすがに勝手にバレエに行くのに付き添うのには残業代は出ない。しかし、私も留学していたときに自分が世話になった分を順繰りに返す番なのだろう。次はフィンランドに来た人にベンラが手を貸してあげればたぶん世界がうまくまわる。

ベンラは北欧系の長身の美人なので、教室に入っていくと小さなバレリーナたちがびっくりして見上げている。レッスンのお金はいついくら払えばいいのか、私は必要最低限のことだけを助手みたいな人に聞いて本人にはI'll talk to you later.とだけ言って、置いて帰ってきた。

ベンラは持参したレオタードに着替えて、練習用のバーの一角を高校生ぐらいの女の子たちが場所を空けているところに入っていった。お互いに全くことばは通じないのだけれど、身振りでそしてバレエで会話をしている。バレエで会話をする人が実際にいるというのがちょっとした衝撃だった。

わずか1ヶ月、全く別の目的をもって異国に滞在するときに、その国のことばも全くできないのに、道でみつけて週に2回習いに行って、コミュニケーションができるような何かをもっている人生というのはどんなのだろう。最初からそのつもりで、当たり前のようにレオタードやらトウシューズやらをもってきているベンラにも驚く。そして小さなバレリーナたちは今日いきなりやってきた長身の、本物の白鳥のように白いバレリーナのことを家に帰ってあるいは明日学校でどう話すのだろう。

少し心配がないでもなかったけれど、そのままほったらかして帰った。バレエで会話をする人々の楽しみに少しは手を貸すことができただろうか。
# by warabimochi57 | 2012-11-26 22:48

流れ着いた観音さま

長浜市にある川道千手院には、二体の千手観音像が安置されている。伝承によるとご本尊の観音さんは川の上流から流れてきたもの。そして、もう一体は、その観音様が夢枕に立って「私と同じ形を彫って、誰かが私を尋ねて来たらそれを差し上げよ」とおっしゃったので同じように彫ったけれども誰も尋ねてくる人はいなかった、ということである。(「湖北の観音さま」長浜み~な協会編による)

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この身代わりの観音さまは、秘仏であるご本尊の隣の厨子に安置されて、なんの指定もない仏さんだったのだが、実は(伝承とは違って)平安初期の作とかでいきなり国の重要文化財に指定された。そして、今年はご本尊の17年目の中開扉ということで、今日まで盛大な法要が営まれ、二体の千手観音にお参りする機会を得たのだった。

世の中に仏像好きな人がいるということは知っていたし、仏教美術というものもあるらしいことは認識していたが特に信仰を持たず、また美術にも歴史にも疎い私にはまるでご縁のないものだった。ところが、先月は鞍馬の阿弥陀如来を訪ね、今月は祖父の五十回忌のお下がりに両親が上述の本を配ったりしていたものだから、ご縁に導かれるように阿弥陀さんやら観音さんやらの仏像に出会うことになった。

およそ出会いとはそういうものなのだけれども、昨日まで縁もゆかりもなかった仏像に心が惹かれてやまない。とはいえ急に信仰が芽生えた訳でもないので、信仰を持つ人々の邪魔をしないようにひっそりと仏像を愛でる、そういう人になろうと思う。仏さんは太っ腹やから不信心の癖に仏像だけ好きになるとは何事、みたいなせこいことは言わはれへんであろう。

16年後の次の開帳にも間に合ってお参りすることができるだろうか。ご本尊の扉はまた閉じられ、この琵琶湖畔の田舎の寺に籠もられてしまったけれども、身代わりの仏さんには毎年十一月にお参りできる。またお尋ね申し上げたいと思う。
# by warabimochi57 | 2012-11-12 00:21

謹製 さつき


by warabimochi57