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かもん更年期

たぶん更年期のせいで色々きつい。という話をしていたら「更年期てあれやろ?田んぼでガタガタガタってやってる...」「それは耕うん機」

というアホ話を友人がしていたので忘れないようにPCにメモしておいた。しかしメモしたこと自体を忘れさらにはメモを見てもこれが何だったのかさっぱり覚えていなかったので、更年期を通り越して既にボケの境地に差し掛かっているのかもしれない。

ともあれ、生理が終わったら楽だろうなあ、とか、それはいよいよ老いとやがて来る死を迎える体制に入るってことだよねとか思いながらぼちぼちと更年期はやってきている。生理に関していうと以前は腰痛とか腹痛はあっても気持ちの浮き沈みとか体調不良とかはそんなにひどくなかったのに、昨今はどうもホルモンに振り回されている感が強い。それからよく聞くホットフラッシュ。私はもともと汗かきなのでブワッと汗をかくことには慣れているのだが「なんで今?」みたいな時に来る。そんなこんなで体調がぱっとしないということが増えた。

対応策としては、あきらめる。流す。だらだらする。何もしない。対応しきれないほどひどくなったら病院へ行くけど、多かれ少なかれこの程度のことはみんなあるんだろうな、ぐらいのところに今はいる。先日もくだらないマンガを読んでいて実にどうでもいいくだらない話だったのだが「いや~癒されたなあ」と思って自分が癒されたがっていることに驚いた。癒されたり勇気付けられたり励まされたりとかいらんわい!と思って生きてきたのに年を取って私も丸くなったのか。丸いのは腹だけかと思ってたけど。

しかし物事がちゃっちゃとできなかったり要領悪かったりするのはもとからなので、その辺ストレスは少なくて済んでいるかもしれない。もしこれが若い頃はバリバリになんでもできた人なら「え!?なんで?こんな筈では?」となるんだろうけどそもそもこんな筈やからなあ。更年期というのはじわじわ来て、生理が上がるころにはそれは終わるのだ、と何かで読んだ。まだ生理は当分上がりそうもなく、ということはまだじわじわやられていくのだろうけど、案外のらりくらりと迎え撃てるような気もしている。

更年期を迎えてもまだアホだったのは少し計算違いだったかも知れないがまあ、いつも言っているように、死ぬ時には「ちゃんちゃん」とつぶやいて死ぬのが目標である。更年期なんするものぞ。ぼちぼちいきたい。
# by warabimochi57 | 2013-10-10 21:57

かき氷異変

中学校の時、友人のお母さんが5人ほどのグループにパフェをおごってくれたことがあった。その時、ほかのみんなはチョコレートパフェを頼んだのになぜか私は一人ウィンナーコーヒーを頼んだらしい。この話は私は完全に忘れていたのだが、今は中学生の母になっている友人がある時思い出させてくれた。

私が子どもの頃はまだアイスクリームは夏しか売ってなかったしパフェなんて贅沢品でもっと物凄くあこがれてもよかった気がするのだが、なぜか私はアイスクリームは死ぬほど好きなのに、パフェもソフトクリームもかき氷もあまり好きではなかった。勿論目の前に出てきたらなんぼでも食べるしおいしいと思うのだが、たとえば友達のお母さんが「なんでも頼みなさい」と言ってくれるとウィンナーコーヒーを頼んでしまい、長じてもわざわざ自分でお金を払ってパフェやソフトクリームやかき氷を食べることは今までの人生でも滅多にないことだった。

繰り返すがアイスクリームは大好きで、先日も飲み会のデザートにアイスクリームが出てきた時にはいつものように5秒ぐらいで食べてしまって「丸呑みしないでください」とか言われるのである。かき氷については小学校のとき子ども会やら夏休みの登校日で草むしりをするとごほうびに50円のが出てくるというだけのものだった。

そんな感じでかき氷とはほとんど縁のない人生を46年にわたって送っていたのだが、この夏突然私はかき氷に目覚めたのである。それも、そこらへんのスーパーとかコンビニで売っている安いかき氷、ないしはそういうかき氷の中では少し高い目の、あずきやら練乳が入ってるしろくまとかお手軽に買えるやつであって本格的に氷をカシャカシャしたりはしない。なんでだろうと考えたらきっかけに思い当たった。果物が高くてヨーグルトに混ぜるものがなかったのでかき氷を買って混ぜたらおいしくて、ヨーグルトがなくなってからもかき氷ばっかり食べるようになったのだ。(ただしはみがき粉の味がするのもあった。)

ということで、果物価格が高騰した、つまり円安のせいで、私は46年目にして嗜好が変わりかき氷を愛でる人になった。つい1ヶ月前までは思いも寄らないことだった。人生というのはわからない、と本当に思う。
# by warabimochi57 | 2013-08-09 22:50

国道に出てくるばあちゃんについて

父方の祖父は私が生まれる前に亡くなったので私は祖父の顔を位牌遺影でしか知らない。長生きした祖母から聞く話は若い頃は男前で浮気に泣かされたというようなことばかりだったが位牌遺影の顔は唇を引き結び、いかにも戦前の謹厳な家長という風貌である。町議会の議長も務めたと聞くのでそれなりに人望もあったのかもしれないがその人となりについて聞く機会はあまりなかった。

先日八十近い父が子どもの頃、やんちゃ坊主に突き飛ばされて鉄棒から落ちて骨を折ったという話を聞き、車もない当時にそれからどうしたのかと聞いたところ、祖父が今の彦根市にある病院までリヤカーで連れて行ったという。大体七十年ぐらい昔の話である。そこは今車で行ったとして1時間はかかる距離にある。昔の人は鍛えられ方が違うとはいえ、骨折した子供をリヤカーに積んで往復するのは1日仕事だったに違いない。浮気の話とか、かと思えば議長さんの話しか聞いたことのなかった祖父も子供の怪我を心配する人の親だった。

たかだか七十年前に、日本の田舎はそんな風だったのだ。それで私はしばしば田舎で、結構車通りの多い国道を走っているとじいさんやばあさんが横断歩道でもなんでもないところを全く車が来るのを目にも入れずに徒歩や自転車で横切る訳がわかったような気がした。じいさんやばあさんは80年も前からそこで暮らしてきたのである。車はたかだかここ40年か50年で普及したにすぎない。ばあちゃんが車の通り道を横切っているのではなくて、ばあちゃんの通り道を車が横切っているのだった。

祖父と、祖父に遅れること40年近く経ってから彼岸に渡った祖母とにまだリヤカーで父を迎えに来ないようにと仏壇に頼んでおいた。祖母は私がひいき(昔の人は長男長女をひいきする)だったので、間違ってこっちを先に迎えに来られても困るのだが、ともあれ当分誰も迎えに来ないようによくよく頼んでおいた。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
# by warabimochi57 | 2013-06-30 14:53

アライヤスのわがままないとこ

おしゃべりと自分が大好きで今は偉い大学教授になっているアライヤスが仕事で大阪に来た。イスラム教徒なのに酒を飲む彼と飲みに行き旧交を温めた後、一日空いているというので京都や奈良や温泉(彼は日本のonsenに非常に興味があるのだが素っ裸になる勇気がない)などいくつかのコースを作ってあげて、どれがいい?と選んでもらい定番だけど嵯峨野を歩くことになった。

そもそも留学生や外国人観光客を案内するのが好きでたくさん経験もあるし毎回喜んでもらって外したことはほぼ皆無(京都の神社仏閣をあちこちめぐった後「どこがよかった?」と聞いたら「駅ビル」と言われてずっこけたビッキーの例もあるけど)なのだが、今回は参ってしまった。

アライヤスはいいのです。問題は観光についてきた21歳のいとこである。彼はアライヤスとは別の中東の国に住んでいるのだが、まず日本食全部だめで日本に来てもマクドナルドでばかり食事している。かろうじてごはんにたっぷり塩をかけたものと、炭に近いぐらい焼いた焼肉が食べられるのみ。そして人々がフレンドリーで神経質じゃない文化圏にいるからなのか、電車の中で子供がいたら頭をなでる、かわいい女の子は全てもれなくじろじろと上から下まで至近距離で眺め回す、声をかける(日本語はもちろん英語もほとんどできないのだが)「そういうことしないで」というと、「なんで?みんな僕のこと大好きだよ」と言う。いや、変な人だから関わらないようにしようとしてるやろが。そして「なんか母親のようにうるさいね」と私のことを言うのだった。

うるさかろうが禁煙の場所で煙草を吸おうとするのには「やめろ」と言わざるを得ない。無視して吸いそうになってるので「逮捕されるよ!」ときつく言うとしぶしぶ火をつけるのをやめて煙草を耳にはさんだ。そして私に誰か女の子紹介して、という。若い友達いないの?とか。車が好きで、その辺に停めてあるかっこいい車があると勝手にバンパーに腰掛けて写真を撮ったり運転手がいるとボディーランゲージで運転席に座らせてもらって、それはいいのだが轟音でエンジンをふかす。やめろと言ってもきかない。なんで私が今日初めて会った人の行動を行く先々で謝り倒さにゃいかんのだ。アライヤスが若い従弟が来るかもと言ってたので嵯峨野はちょっと退屈かもしらんと思ってその後映画村に行く計画だったのだが、結局この若者が「つまんない、帰る」というので嵯峨野だけで難波のホテルまでお送りすることになったのだった。

アライヤスは親族の中でも成功しているので凄い数の身内の面倒を見る立場にあるらしく、このわがままないとこにも親切に心を配ってやり、夕飯はホテルのフロントで彼でも食べられるトルコ料理のレストランを調べてもらって連れて行ったりしていた。いやはや、散々な散策だった。嵯峨野でもこれから一番きれいなところへ行こうとした時に「疲れた、つまらん、帰る」とか言い出すのでアライヤスに見せたかった竹林は見ず仕舞いになった。

「今度は休暇を取って一人でおいで」というと「そうする。E(いとこ)のこと、ごめんね」とアライヤスが恐縮していた。「まあ若いから仕方ないよね」と言ったものの、いくらなんでもあれはrudeだよなあ。しかしそれはともかく、アライヤスとは飲みに行ってゆっくり話せたし彼も相変わらずおしゃべりだけどぐっと落ち着いていて、そしてこの身内の面倒を見るという文化もよしあしなんだろうけど、頼りがいのある親切なおじさんなのだった。アライヤスは日本の居酒屋に連れて行ってもなんでもおいしいおいしいと全部食べるし(豚はこっちが気遣って注文しなかったけど)連休で人だらけの嵯峨野の一部をちょっと歩いただけでも綺麗だ綺麗だと喜んでくれた。アライヤスとはむしろ昔よりいっぱい話せた気がする。私の英語力があの頃よりも向上しているので文字通り「いっぱい」話したのである。いつもはSNSとかをウザいとかどうとか言っているけれど、旧友とつながっていられるというのも(つながっていたい人に限り)有難いものだと思えた。

観光が早く終わったのでその後遅れる予定の別の飲み会にはほぼ時間通りにいけた。こちらはむしろ義理半分で顔を出すつもりだったのだが予想以上に楽しく盛り上がり、日付が変わってからの帰宅になった。

連休前半終了。疲れました。
# by warabimochi57 | 2013-04-29 21:04

いるかの耳はどこにある

阪大はぽかぽか陽気で早や新緑の装いだった。

一体私は死ぬまで学生をやっているつもりなのだろうか。杉本先生は入ってくるとぐるっと受講生を見回し、私に目を留めて「久しぶり、全然変わってへんね」と声をかけていただいた。いや先生、変わってますて。あの頃は老眼なんてなかったし。ゼミの受講は実に8年ぶりになる。当時机を並べていた友人達はとっくに研究者になったりそれぞれの志に向かって進んでいるのだが、なぜか私はテープを巻き戻したように戻ってきてまたアホな学生をやり直しているのだった。

今年度で退官される先生の最後のゼミはこの分野の古典というべき"Women, fire, and dangerous things" (Lakoff 1987)というもので今日は序章を先生の解説でちょっと読んだ。概説というか認知言語学はどんなことをやるのかというような話だが、この一目見ただけで分厚くて投げ出したくなる教科書が杉本先生にかかると魔法のように面白くなるのが昔のままで、本当に私はタイムマシンにのってきた気がしてならなかった。イルカの耳のはどこにあるかは知らないという話も出たのだが、認知言語学とは人間には人間ならではの世界の捉え方があり、イルカにはイルカのコウモリにはコウモリ独自の世界観がある、その人間ならではの世界観に基づいて言語を見ていこうという感じ。

本格的にやり直せればいいのだけれど、お金もない今の私には科目履修生が精一杯のところである。続けて博士の演習にも出ると、こちらはしっかり認知をやっている人ばっかりだったのでちょっとついていくためには認知言語学の基本的な文献を読まないといけない。ともあれ、二度とはない機会、若い人の、前回外大に行った時は一回り下だったのが二回りも下になっているのだが、足を引っ張らないようにぼちぼち、なんとか楽しくやっていきたいと思う。
# by warabimochi57 | 2013-04-10 19:29

謹製 さつき


by warabimochi57