2014モヤモヤとの戦い
2014年 01月 13日
遅ればせながらあけましておめでとうございます。
2014の幕開けはモヤモヤとの戦いだった。モヤモヤというのは、「もやっとする」とかそういうやつではなくて、田辺聖子の小説に出てくる神さんみたいなもので、運命というか人間を困らせては喜ぶ悪魔なのか神様なのかわからんような運命のいたずらにいじわるじいさん的な性格を付したものです。
モヤモヤが待っているとは知らない私は、正月休みを返上して研究計画を書き、お世話になっている先生方に相談して計画を見ていただいたり、指導を引き受けていただいたりして大学院進学への準備を進めていたのでした。準備は万端ととのい、職場の上司にも話をして、友人達にも話をしてというところまで行ったのだけど、アデレード大学からの修了証明が届かなかった。それは12月23日にアデレードを発送したもので通常だったら1週間ぐらいで届くところ、クリスマス&年末年始で混んでいるとはいってもさすがに1月10日には来るでしょ、と来たらすぐ出すつもりで待っていて、最後の方はまさか着かないなんてことないよね?と冗談だと思ってたらほんとに来なくて、そしてコントのように、締切りの1日後の11日に着いたのでした。こういうところ、特に入試関係は絶対融通聞かないからね。今年の出願の夢は私の正月休みを全部食いつぶしておいて綺麗に消えたのでした。
10日、来なかった時点では気づかなかった。あちゃーとは思ったけど面倒かけた先生やら職場やらにお詫びして、友人達に報告して、ま、来年がんばるさと気持ちを切り替えて(私の切替の早さは光速なので何かあると常に周りの方が落ち込んでしまうのだが)バタバタしていて、次の11日に待ち望んだ書類がもはや間に合わなくなって届いた時ハッとわかった。「モヤモヤのしわざか!」と。そういう奴なんですよ、モヤモヤは。
勿論出願できたからって合格するとは限らず、今入ったからってお金が続くとも限らず、というかお金の面は今回目をつぶってえいっと出願することにしてたのだし、結果的には必ずしも悪いことばかりではないのだけど、先回りしてもう入った気になって浮かれてたところ、まさにモヤモヤのカモになって浮かれが楽しかった分だけ、楽しい夢を見ていた分だけ派手にすっころんだのでした。ちゃんちゃん、とつぶやいて死にたいというのが昔からの私の願望だけどそんな何回も予行演習せんでもええのに。
でもまあ、昔病気した時や事故した時に死んでいたかもしれない命だと思えばとりあえず生きてるし、次行くぞと元気に宣言して、悲しんだり泣いたりすることはなかったのだけど、メールやらSNSやらで報告した方々からたくさんの励ましが寄せられてそれには涙が出てどうしようもなかった。厳しい状況に対処することは得意なのです。冷静に受け止めてあきらめるとこはあきらめるし希望を持つとこは希望をもち続ける。でも他人の温かい気遣いには弱い。これもモヤモヤのしわざの一環なのかもしれません。しんどいことがある時には必ずふだん気づかない他人の親切が身にしみるという。大体が個人主義で他人のことなんかしらんわいと生きているのになんでこんなに温かい心遣いに囲まれていられるのか、モヤモヤを小一時間問い詰めたい。
という訳で現状はまずあと1年は変わらないけれど、たとえば自分の方言を研究することは合格するしないに関わらず勝手に始めますと宣言もしていたし、どんどん勝手に始めるとこは始めて、勉強するところはして、言語学の基本的なとこで足りないところもいっぱいあるからがんがん本を読んだり、職場の友人とは英語をなんとかしようねと約束してみたり、色々と忙しくなっています。1年はたぶんあっという間にたつと思う。
正月休みはないことにしていたので部屋が汚いままなのはどうしてくれるとモヤモヤにいいたいけれど、四角い部屋を丸く掃除機かけて今年もぼちぼち行きたいと思います。
旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2014の幕開けはモヤモヤとの戦いだった。モヤモヤというのは、「もやっとする」とかそういうやつではなくて、田辺聖子の小説に出てくる神さんみたいなもので、運命というか人間を困らせては喜ぶ悪魔なのか神様なのかわからんような運命のいたずらにいじわるじいさん的な性格を付したものです。
モヤモヤが待っているとは知らない私は、正月休みを返上して研究計画を書き、お世話になっている先生方に相談して計画を見ていただいたり、指導を引き受けていただいたりして大学院進学への準備を進めていたのでした。準備は万端ととのい、職場の上司にも話をして、友人達にも話をしてというところまで行ったのだけど、アデレード大学からの修了証明が届かなかった。それは12月23日にアデレードを発送したもので通常だったら1週間ぐらいで届くところ、クリスマス&年末年始で混んでいるとはいってもさすがに1月10日には来るでしょ、と来たらすぐ出すつもりで待っていて、最後の方はまさか着かないなんてことないよね?と冗談だと思ってたらほんとに来なくて、そしてコントのように、締切りの1日後の11日に着いたのでした。こういうところ、特に入試関係は絶対融通聞かないからね。今年の出願の夢は私の正月休みを全部食いつぶしておいて綺麗に消えたのでした。
10日、来なかった時点では気づかなかった。あちゃーとは思ったけど面倒かけた先生やら職場やらにお詫びして、友人達に報告して、ま、来年がんばるさと気持ちを切り替えて(私の切替の早さは光速なので何かあると常に周りの方が落ち込んでしまうのだが)バタバタしていて、次の11日に待ち望んだ書類がもはや間に合わなくなって届いた時ハッとわかった。「モヤモヤのしわざか!」と。そういう奴なんですよ、モヤモヤは。
勿論出願できたからって合格するとは限らず、今入ったからってお金が続くとも限らず、というかお金の面は今回目をつぶってえいっと出願することにしてたのだし、結果的には必ずしも悪いことばかりではないのだけど、先回りしてもう入った気になって浮かれてたところ、まさにモヤモヤのカモになって浮かれが楽しかった分だけ、楽しい夢を見ていた分だけ派手にすっころんだのでした。ちゃんちゃん、とつぶやいて死にたいというのが昔からの私の願望だけどそんな何回も予行演習せんでもええのに。
でもまあ、昔病気した時や事故した時に死んでいたかもしれない命だと思えばとりあえず生きてるし、次行くぞと元気に宣言して、悲しんだり泣いたりすることはなかったのだけど、メールやらSNSやらで報告した方々からたくさんの励ましが寄せられてそれには涙が出てどうしようもなかった。厳しい状況に対処することは得意なのです。冷静に受け止めてあきらめるとこはあきらめるし希望を持つとこは希望をもち続ける。でも他人の温かい気遣いには弱い。これもモヤモヤのしわざの一環なのかもしれません。しんどいことがある時には必ずふだん気づかない他人の親切が身にしみるという。大体が個人主義で他人のことなんかしらんわいと生きているのになんでこんなに温かい心遣いに囲まれていられるのか、モヤモヤを小一時間問い詰めたい。
という訳で現状はまずあと1年は変わらないけれど、たとえば自分の方言を研究することは合格するしないに関わらず勝手に始めますと宣言もしていたし、どんどん勝手に始めるとこは始めて、勉強するところはして、言語学の基本的なとこで足りないところもいっぱいあるからがんがん本を読んだり、職場の友人とは英語をなんとかしようねと約束してみたり、色々と忙しくなっています。1年はたぶんあっという間にたつと思う。
正月休みはないことにしていたので部屋が汚いままなのはどうしてくれるとモヤモヤにいいたいけれど、四角い部屋を丸く掃除機かけて今年もぼちぼち行きたいと思います。
旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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by warabimochi57
| 2014-01-13 16:21