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合掌

穏やかな年末が大雪に変わった日、大荒れの吹雪の中を近所のおじさん-年齢は知らないが新年に数え年で喜寿を迎える父よりもだいぶ上であることは間違いない-が母への見舞いを包んでもってきてくれた。ご近所だというだけで、実際のところ赤の他人でつきあいもほとんどないのだが、義理堅い田舎の人には見舞いはやめとこか、というような選択肢はない。年金生活の老夫婦であろうが吹雪だろうが関係ない。以前から田舎に笠地蔵が実在することにはしばしば触れたけれども、母の入院中も笠地蔵たちは留守宅にやってきて大根や白菜を置いていき、中には大きな蘭の鉢を置いていった笠地蔵までいたのだった。

母方の祖母は長いこと寝たきりだったし、父方の祖母も母は長い介護の後に看取っており、昨今では父も老いて介護する側の大変さということはいつも思っていたけれども、介護される側の気持ちということは考えたことがなかったと母は病床で述懐した。年齢的にもいつ何があってもおかしくないことは私たち娘らも知識としては知っていたけれども介護といっても全く他人事だったのがいきなり自分事になったのこの一月、母には後遺症は残りリハビリの課題はあるにせよ年末に退院までできたのは僥倖だった。吹雪の中を帰っていく腰の曲がったおじさんの後姿に不信心な私も思わず手を合わせる。

両親を遠方から帰省している妹に任せて今私は自分の部屋を片付けに京都に帰っている。今までどおりにはいかないけれども軌道修正しながら仕事や勉強もなんとか続けていけるだろう。笠地蔵さんもどうか長生きしてください。皆様もどうぞよいお年を。
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by warabimochi57 | 2011-12-31 12:58 | Comments(0)

祝杯

毎年越冬にやってくるオオワシが姿を見せないので多くの人がやきもきしていて、彼女もおばあちゃんだしもしかしたら...などと悪い想像をしないでもなかったこのごろ、今日になってついに飛来が確認されて多くの人が祝杯を挙げているという。

その故郷の町に私はたまたま帰っていたのだが、オオワシさんを見に行くことはできなかった。老境に入って日常生活にほんの少し不自由をきたしていた父を一人でみていた母が倒れてんやわんやのさなかだった。

入院して数日、当初から意識ははっきりしていた母は、目に見えて回復に向かっている。今後リハビリでどこまで回復できるかはわからないけれどもまずは生き延びた。

親が倒れて祝杯を挙げるのもなんなのだけど、駆けつけてくれた叔父や伯母たちとも有難い、有難い、生き延びてくれた、やれ嬉しやという言葉を繰り返すばかりだった。

後のことはなんとかなる。妹たちと交代しながら、田舎だけに頼もしい親戚の助力も得て母のことも、母が病床から気遣ってやまない父のこともなんとかうまくやっていけるだろう。

数日振りに京都に帰って自分の巣にこもり一息つく。当面は母と父のことを中心に仕事もいろいろと融通をきかせてもらいながら忙しい日々になると思うけれどぼちぼちといつもどおりにやろう。遊ぶことも休むことも手を抜くことも、それは身についた習性だから忘れない。どんな修羅場でも必ず手を抜く自分の習性をこれほど有難いと思う日が来るとは思わなかった。

私は、言語学を本格的にやり直そうと決意したばかりだった。修士からやり直したいなあと思い具体的な手順はどうしようか、旧の大阪外大に戻りたいと色々考えて楽しんでいた。それは今すぐは絶対に無理だし長期的な見通しは全く立たないのだけれどあきらめる必要はない。むしろ腰を据えて何年かかっても構わないからゆっくりと攻めていく。

今年もよくぞ飛んできてくれたオオワシさんと、しぶとく生き延びてくれた母の命と、何が起こるかわからないけどまあなんとかなっていくであろう人生に、ささやかな祝杯を挙げる。
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by warabimochi57 | 2011-12-04 22:30 | Comments(2)

謹製 さつき


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