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まぢレスすると

マジレスするというのはネット上の掲示板とかで(あんたが冗談言ってるのはわかってるけど)まじめに返事するなら、というような意味なのだが(うちの読者にはそういうの見ていない人も結構いるので一応)これって英語でどう言えばいいんだろう。Actually,とかでいいのかな。Seriously?

私は高校生の時初めて友人が「事故った」という言葉を使ったのを聞いて、なんという汚い品位のかけらもない言葉であろうかと驚いたのだが約20年後、自分が自損事故で危ない目に遭った時、「事故った」という以外にその状況をうまく表現する言葉が見つからなかった。事故に遭ったというと事故に巻き込まれたみたいだが私の場合は自分がガードレールにぶつかったのだった。

言語学を勉強するようになってから「見れる」とか「食べれる」とかのいわゆる「ら抜き」言葉も使いこなせるようになったが、以前はそれはけしからん、日本語の乱れであると思っていた。

で、このマジレスって英語でどういうんかなーと考えた時に、言語学の洗礼を受けたのちも、自分は今でも言葉の使い方については相当保守的でそういうジャーゴンとかくだけた言葉を使いこなすのに手間がかかる人間であると気付いた。

オーストラリアでは大学のことをuniという、みんなが使っているその言葉が口から出るのに1年ぐらいかかった。universityなんて言ってる人は誰もいないのだが、自分の思い込みから抜けられないのである。さらに保守的な傾向は書き言葉に特に顕著で、書き言葉といってもフォーマルな論文ではなく(それはもとよりフォーマルなもんだが)くだけた掲示板とかチャットとかなのだが、みんながu rってんのにyou are と書かずにいられない自分は英語を使っていてもKYなのである。

ノリが悪い性格と関係あるのかもしれない。私は子供のときからわーい!とかヤッター!という喜びを表す表現が下手で、どうやって表現していいかわからなくてもじもじ~としているような子どもだったのだが、(ちなみに甥っ子にそういうとこが見られると、子どもの癖に素直じゃない奴だと思うのだが非常に気持ちはよくわかる)その場で普通に使われている言葉にすぐに乗れないとかKYとか自分の思い込みがなかなか抜けないとかはどうも皆つながっているような気がする。

ところが「事故った」にしろ「マジレス」にしろ、それを使うようになってみると今度はそれがなかった時が思いだせない。「ネタ(これも慣れていない人向けに注釈つけておくと冗談の意味ね)だってことはわかってるんですけどまじめに返事しますが」っていちいち言ってたんだろうか?

ともあれ、今私は「マジレス」という用語を知っているだけではなく、それを使うにふさわしい場所と状況もわかっている。マジレスするとって英語でなんていうんだろうなーと思ったのだけど、その状況に相当する英語を知りたければ、相当するような言い回しが飛び交っていそうな場所へいって観察して、それをu rを使えない私が使えるのかどうか様子を見ることが必要かもしれない。よく考えればマジレスなんて言葉はここ数年ぐらいで覚えてここ2年ぐらいで使うようになった言葉である。ちゅうことは、自分のなじみの遅さも考慮に入れてそれに相当する言葉が使えるようになるにはあと2年ぐらいかかるかもしらん。

一つの言い回しを状況も含めて把握してそれがなかった時代を忘れるまでにはえらい時間がかかるもんであることよなあ。
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by warabimochi57 | 2010-02-05 20:13 | Comments(0)

夜中にギャーを考える

夜中に何か恥ずかしいことを思い出してギャーッとかなんとか叫んでしまう現象について考える。

わが恥多き人生を振り返ったときに、良心に照らして恥ずかしいこととか人間として恥ずかしいことというのは当然多々ある訳だが、そういう本当に恥ずかしいことは「夜中にギャー」の対象にはならない。

それはもう、本当に良心とか、信仰を持つ人であれば神様と話をするしかない問題で夜中にわめいても叫んでも仕方がないことだから出てこないのかもしれない。

ともかく、夜中にギャーのネタになる恥ずかしい出来事というのは、中学生ぐらいから今に到るまでの人生の各所で次々と製造しているのがランダムに出てくるわけで際限がないのだが、大方は実にくだらない、自分以外は誰も覚えていないだろうことである。

そのくだらないネタを個々に検討してみると、上述のとおり本当に自分の良心に照らして恥ずかしいことというのはほとんどない。そうではなくて、そこにいた他者に感情移入して、今更ながら自分を軽蔑したりアホかと思う。他者になり代わって自分を裁く。要するにその時は気にしていなかった他人の目を今になって気にしているのである。その場に居合わせた誰かに「こんなふうに思われた」であろうことを恥ずかしがって私は毎夜毎夜ギャーと叫ぶわけである。

今、その時は気にしていなかったと書いたけれど、本当に気にしていなかったなら記憶にも残らなさそうなものだが、覚えているということはどこか何かが心にひっかかってはいたのかも知れない。それはもしかしたら一瞬ちくっと「あれ?こんなことしてこの人はどう思うかな?」と思いながら流してきたことかもしれない。あるいは周囲の顰蹙を覚悟で自分の主張を通したけれど後から思えば周囲が正しかったような気がするというのもあるかもしれない。

いずれにしても、その回想に出てくる人々は、なんせ今までの人生全てで出会った人だから、ほとんどの人とはもう交流がない。だからほとんどの場合、その過去の自分の恥ずかしい行いによってどう思われたとしても、もはや自分の人生にはなんの影響もないのである。その人の自分に対する評価が自分のアホのせいで低いままだったとしても別に痛くも痒くもない。

思うにあの「ギャーッ」とか「やめて!」(←過去の自分に対して)は、若気の至りの数々を振り返って多少なりとも世間知を身につけた自分がもう一度あの日に帰ってこっそりあの馬鹿な過去を消してましなものに修正したいのだけどそれがかなわない、でもあきらめきれない心の叫び、なのかもしれない。

で、私としては以上の考察踏まえて冷静に考えるに、「過去を塗り替え願望」を徹底的にあきらめることによって、「夜中にギャー」を多少なりとも軽減できるのではなかろうか。

もう、そのことについてはあきらめたまえ。今も昔もこれからも君はずっと馬鹿なままなのだ。ただ一つ救いになるのは、そのことと本当に恥ずかしいことは関係ないということだ。人間として本当に恥ずかしかったことに関しては、ギャーなんかにはなんの関係もなく自分の心や神様と話をするしかないのだ。

ということで、こうやって気になっていたことを言語化したことによって、今晩からギャーが軽減されるのかどうか、ちょっと確かめてみたいと思います。
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by warabimochi57 | 2010-02-02 21:23 | Comments(0)

謹製 さつき


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