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世界が様相を変えるとき

世界が突如様相を変える時がある。

身近なところで言えば、まずバードウォッチングに行って双眼鏡をのぞいてみると、これは文字通り世界の見え方が変わる。窓から別世界をのぞいているようで、ちっとも飽きずに田舎道を歩けるようになる。知らない鳥を見かけて図鑑で調べるのも楽しい。街中にも鳥さんはいるけれど、その場合はあんまり街中で双眼鏡をのぞいていると怪しいので気をつけなくてはならない。

自然観察系でもう一つの経験を挙げると、厚沢部にいたとき教育委員会がやっていた「冬の木の芽を観察しよう」という観察会に参加したのも衝撃的な体験だった。それは当時広報の仕事で行っただけで全く期待も何もしていなかったのだが、冬の森にどんな木の芽が芽吹いているかを観察するというたったそれだけのことがこんなに面白いのかと目を開かれた思いだった。勿論、詳しい方に解説してもらったから面白かったのであって、この最初にどういう詳しい人に出会えるかというのが面白さに出会えるか出会えないかの分かれ道でもある。

言語学に出会ったのもそうだった。別の世界をのぞく望遠鏡というか顕微鏡というかとにかく違う世界への入口を示されたと思った。

それでですね、最近知らない人の英語の勉強方について書かれたブログを読んでいたところ、「単語を覚えると世界が変わる」ということが書いてあった。

そうだったのか!勿論、単語を覚える重要性というのは、かの名著「外国語上達法」にも明記されてあるぐらい、外国語を学ぶ上で当たり前の当然のコモンセンスの常識なんだけど、今までもう一つ「わかっちゃいるけどよー」てとこから抜け切れていなかったのよね。でも世界が変わるんだってよ。それならやるよ。

ってことで昨日から英単語を覚えようとしてますがまだ世界は何も変わりません。でも今まで「単語を覚えたい!」という突き上げるような欲求とは無縁だったので(←突込み禁止)「世界が変わるのか、ならばやってみよう」と思えたのは画期的だった。

単語を覚えると世界が変わる。と私が言う日は来ないとは言えないような気がする日は近いかもしれないような気がしないでもない。
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by warabimochi57 | 2010-01-31 18:55 | Comments(0)

自分は自分

二十年以上昔、初めて車の運転免許を取った時、叔母が私に「自分は自分と思て行くことや」と言った。その心は、初心者がもたもたしていると周りの車がイライラしているのがわかって焦るかも知れないが、気にせずにマイペースで運転しろという辺りであろう。

今、うちの近くの国道は所々非常に怖いところがある。工事がやりかけだったり、雪かきはしてあるものの微妙に轍が残っていたり、ちょっとしたでこぼこに氷が張ってたりすると一瞬ハンドルを取られることがある。暖かい時であればなんでもないが凍結した路面ではこれが命取りになることがある。

北海道ではもっともっと怖い路面を日常的に走っていたのだが、ある日とうとうスリップして車が制御不能になり、たまたま対向車が来てなかったから助かった、ということがあった。その時の記憶は鮮明なのだが、一体私が何キロで走っていたのか正確なところはわからない。ただ、凍結した道だったし日ごろからそんなにスピードを出す方でもないので、むちゃくちゃにスピードを出していた訳ではないことは確かである。それでもいったん滑ったら文字通り制御不能だった。

爾来凍結した路面には極度に神経質になっている。神経質になりすぎて少しの雪道運転でもくたびれ果ててしまうのだが、雪道運転は経験則では測れないことは確かである。つまり、大方の人は昨日も今日も何事もなく乗り切っているのだけれど、慣れた人でも運転が上手な人でも明日も大丈夫とは限らない。このぐらいの雪ならこのぐらいのスピードは大丈夫という勘を雪国の人は身につけているけれども、いつも大丈夫だった道で大丈夫だったスピードで事故は起きる。

しかし今ここで「自分は自分」の奨めを書くと、迷惑運転を勧めるなと怒られそうな気がする。ただでさえふだんよりゆっくりの雪道で必要以上にノロノロ運転している車があるといらつく人は増えるだろう。自信がないなら運転するなというのは正論で、私も老親には、今後どうしても雪道の夜に出かけなくてはならないような時があったらためらわずにタクシーを使えとうるさく言っている。都会と違ってその辺をタクシーが走っている訳ではないので割高になるけれども仕方ない。その上で、やっぱり「自分は自分」である。

田舎に雪が降ったら、都会の人も物流がふだんより遅れ何もかもがゆっくりになることをわかって欲しいと思う。自分のとこに降ってなくても、北国の国道を走っているトラックの前を「自分は自分」で慎重に運転している車があるのだ。そして普段はさっさと追い抜いてゆける道でも、両側の雪の壁に阻まれて追い抜くことはできないのだ。雪の降らない都会にいつもの通りに早く荷物を届けなくてはならなくてイライラしているトラックの前で、焦ってスピードを出しすぎて滑る車が一台もないように、雪が降ったり凍ったら物が遅くなる、みんな最初からそのつもりで運転しているということになれば痛ましい雪の事故も少しは減るのではないかと愚考する。

冬場は運転しなくてもすむほどに公共機関が発達していればどんなにいいかと思うのだけれど、そんなことは望むべくもない。どうか事故がなく冬が乗り切れますように、雪と氷が早く全部解けてくれますようにと願う。

暗くなる前に家の横を流れる川を見るとルリビタキ(こんなの)がはねていた。青い鳥が春をもってきてくれるといいのだけれど、まだ当分はじいっと待つしかないのだなあ。
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by warabimochi57 | 2010-01-16 22:32 | Comments(0)

恭賀新年

大雪の正月は何年ぶりだろう。北海道にいたころはどうだったっけなと考えて、そうだ北海道では大晦日がごちそうなんだったと思い出した。なんだっけ、あの子どもがもらうお菓子は、えーと、くちどり。

今、そうやって16年に及んだ北海道生活の正月風景をあれこれ思い出しているのだが、こと雪に関してはなぜか私の記憶はそれ以前の、二十数年前の高校生のころにとぶ。

すなわち今ここで見ている景色を二十五年ほど巻き戻せば、両親は今の私よりほんの少し上で、祖母がまだ健在で、そして正月ともなれば毎年のように大雪だった。

星移り物代わり、地球は暖かくなって久々に迎える大雪の正月、私は年々偏屈になり今年は年賀状もやめてしまった。去年はなんとかかんとか論文を出して修士を取ったけれど学業を続けるゆとりもなく就職口を探しても世界は大不況、身を助けるような芸もなくて家でうろうろしている、こういうのをネットの世界では「自宅警備員」と言うみたい。

私は実は年々偏屈になるに従ってますます自由になる気がして、職もなくお金もなく展望もなくなんにもない正月が晴れ晴れと楽しい。大雪なのに神社には明かりがともって、信仰の深い田舎の人々がお参りに集っている。自宅を警備していると時々やってくる(らしい、足跡が残っている)いのししさんもお猿さんも無病息災でまた1年過せますように、めんどくさいから初詣には行かないけれどここからぱんぱんと拍手を打つ。

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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by warabimochi57 | 2010-01-01 00:01 | Comments(5)

謹製 さつき


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