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ももひきをはいてデートにいこう

ももひき(別名ぱっちともいう)をはいてデートにいってきた。それも自分の薄くて軽いのは洗濯していたので母の厚くてらくだ色のを借りていった。

ジーンズの下にはくんだから別にそれを脱がなければなんら問題ないぢゃないか、と思われるかも知れないが、そんなもの脱ぐに決まっている。

で、なんぼ私がおしゃれとは縁のないもっさり系のスカートをはいたおやじ(めったにはかないけど)だとしても、デートにぱっちはないよなあと思うのであるが

そして、10年もつきあっているならともかく、デートするようになってまだ2ヶ月ぐらいなのだが

それはともかく、昔私は年下の細身の抱きしめたら折れてしまいそうな気弱そうな口下手な青年とつきあっていた。今目の前にいる人はその特徴のどれ一つもあてはまらない。

何か枠があってそれにあてはまる人を好きになるのではなくて、たまたま出会った人にたまたま何かのきっかけで心惹かれるのだから、別に180度違う人を好きになることがあっても何も不思議はないけれど

思うにただ私はその昔も今も、泊まりのデートにももひきはいていって寛いでいる。別にそういう人を探して好きになるわけではないけれども、そういう人でなかったらきっと好きにはならないんじゃないか、という気がする。
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by warabimochi57 | 2009-02-27 00:41 | Comments(2)

使えるマトリョーシカ

だるまみたいな人形の中に人形が入っているロシア土産の「マトリョーシカ」を母は2体誰かのお土産にもらって持っているのだが、これはけっこう子供受けするので子守に使える。

2体はそれぞれ、お人形が5つセットになっていたのだが、片方は甥が小さいときに小さいのを3つなくし、大きい方から2つだけが残っている。もう1体は無傷で5つ残っているのだが、一番小さいのは一歳の姪が口に入れるといけないので私が隠してしまった。そこで大きい方から4つが、姪の子守をしてくれる。

五歳の甥のほうはもうあまりマトリョーシカで遊ぶこともしないのだが、今日は祖父母とおば(私)とテレビで「生活笑百科」を見たあと、2体のマトリョーシカを上沼恵美子と辻本茂雄のお人形に見立てて「生活笑百科ごっこ」をして遊んだのだった。

「はい、ゲストのおじいちゃんはどちらの意見に賛同されますか」
といって片方のマトリョーシカを選ばせる。

ちなみにこないだは同じマトリョーシカはヤッターマン1号に扮していた。かなり使える。

余談であるが、今日の「生活笑百科」で私は横山ホットブラザーズを見たのだが実に30年ぶりであった。そういえばこんな人たちがいたのであったことよ。
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by warabimochi57 | 2009-02-21 22:56 | Comments(0)

半分の余

灯油の入ったタンクを見て「まだ半分のよう、あるな」と思った。

この半分の「よう」というのは、半分よりももっとたくさん、半分よりもだいぶぎょうさんある、ということである。ピッチは高く始まって下がらない。北京語の一声と同じ。広辞苑を見ると

余 ②それ以上であること。端数があることを示すときにいう語。「百人の-の参加者」

と出ていた。方言というよりは古い言葉が残っているのであることよ、と思いここに書き留めておくことにする。どの程度分布しているのか、世代的にまだ残っているのか(私は故郷を離れていたのが長いので、たまに祖母あたりが使っていた言葉そのままを、故郷の同世代はもはや使っていないのに使うことがある)はわからない。

たとえば、テストにはまだ2週間のようある、などと使うが「*お菓子が2つのようある」のように、一目瞭然だったり少なすぎる数字には使えない。

今日は雪が降っていて、春にはまだ一月のようあるようである。
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by warabimochi57 | 2009-02-18 19:43 | Comments(2)

オオワシが飛ぶ

町内にオオワシが越冬する山があり、その近くの琵琶湖でもコハクチョウやらなんやらたくさんの水鳥が越冬するということで、うちの田舎町は冬場に鳥を見に来る人々がいっぱいいる。昨日は暖かくなってオオワシが北に帰るのではないかといわれていたがまだもう少しいるつもりらしい。

琵琶湖岸にある野鳥センターに行くと、この季節は山のオオワシに照準を合わせた望遠鏡がのぞけるようになっているので、木のてっぺんに留まっているオオワシさんは何度も見ていたのだが、昨日はたまたま、オオワシが黒い大きな翼を打ち振って飛び(琵琶湖で魚を取ってきた帰りだったらしい)山の中腹の木の梢に留まる場面に行き会った。飛翔するという言葉にふさわしい堂々たる雄姿だった。(雌だけど)

厚沢部にいる時にその豊かな自然環境に触発されてなんちゃってバードウォッチングを始めたのだが、ただその辺にいる鳥を見るというだけだった。その辺にいるのがクマゲラだったりミヤマカケスだったりしたのは北海道の山村ならではなのだが、私は鳥に全然詳しくないのでその有難味も全然わからずにいた。

しかし今回は違う。なにしろ図鑑を買ったので。やっぱし図鑑を買うとこから入らなきゃね。今はまだ、スズメとホオジロの違いもよくわかっていないのだが(いや、ホオジロのほっぺたが白いことはわかっているがパッと見てどっちかよくわからないことが多い)今に見ておれ、である。誰が何を見ておれなのかはよくわからないけど。
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by warabimochi57 | 2009-02-16 21:48 | Comments(0)

誤訳あり

前回書いた泡坂妻夫と並んで、老後の楽しみのためにあえて代表作をまだ読んでいない作家にジェフリー・アーチャーがいる。

永井淳の日本語訳でこの稀有な天才の作品を読むのを私は人生の楽しみの一つに数えていた。

オーストラリアにいたころ、向こうでは当然原著が出回っているので最近の短編集と長編を少し読み、しかし自分の英語力の低さから少しニュアンスがよくわからない点もあったので帰国して日本語訳を読むのを楽しみにしていた。

短編集邦題「プリズン・ストーリーズ」(原題CAT O'NINE TALES)がその一つなのだが、楽しみにしていた日本語訳は、読んでびっくり、英語力の貧困な私が読んでもはっきりわかる誤訳、あるいはちょっとおかしな訳でいっぱいだった。

たとえば第二話「マエストロ」は最後のパンチラインの訳が違っている。短編は落ちが命なのにそこを間違えては面白くもなんともなくなってしまう。

ネット上で最近のジェフリー・アーチャーの評判を見てみると「昔好きだったのに最近面白くない」と言った評判を散見するし、また別の長編について「最後が誤訳」という評価もあった。

これだけの材料で断言はできないが、ジェフリー・アーチャーが最近面白くなくなったのではなく、訳が悪い可能性はかなり高いと思う。

永井淳は大御所で私自身、若いころからその訳本に親しみ楽しんできた。一体この人自身が変わってしまったのか、あるいはもしかして下訳なり若い人に任せてもう名前だけ出しているのか、あるいは若いころから変な訳もあったのに私が原著を読んでいないから知らないだけなのかはわからない。

ジェフリー・アーチャーの愛読者で、永井淳の訳のファンでもあった一人として残念でならない。しかしもしもアーチャーが日本で以前ほど売れていないとしたら、それは訳のせいでもあることを指摘しておかなくてはならないと思う。
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by warabimochi57 | 2009-02-14 20:07 | Comments(0)

巨星堕つ

昔、ミステリマニアの人と話したことがありました。

「俺、『11枚のとらんぷ』読んで作家になるのあきらめたの」
「Iさん、それ、『カラマーゾフの兄弟』読んで作家になるのあきらめたって言ってるようなもんですよ」

ミステリマニアのIさんはで何事につけ「俺はすごいぞ」という意見の持ち主だったのだが、こと泡坂妻夫に関しては「世の中には俺なんかが逆立ちしても足元にも及ばない天才がいる」と認識していた。自分の才能を泡坂妻夫と比べようってのがそもそも無茶なんですよ、と私なぞは茶化していたのだが、

泡坂妻夫は掛け値なしの天才だった。粋なトリックと洗練された文体にしびれ、一生の楽しみにしていこうとわざとまだ読んでいない代表作もある。しかしもう新作を望むことは叶わなくなってしまった。

本を読んで文字通り飛び上がったのは泡坂妻夫「しあわせの書」だけである。「11枚のとらんぷ」はIさんじゃないけど、こんなの書かれたら後に続く人は何も書けなくなってしまう。そして短編集「比翼」は無人島に持っていくならこれ1冊でいい。

どんなに楽しませていただいたことだろう。泡坂妻夫さんは真性のエンターテイナーだった。ミステリとマジックと、そしてその組み合わせと。マニアでもなんでもない私にとっても巨きな星が堕ちたように思われる。

泡坂妻夫さんのご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
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by warabimochi57 | 2009-02-04 22:08 | Comments(2)

謹製 さつき


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