自由があるから
2006年 05月 25日
ケアンズでパプアニューギニア人のお姉さん(といっても40代ぐらい)と話していたときのこと、
彼女のおばあさんはパプアニューギニアの電気もガスもなにもないど田舎に住んでいるのだが、オーストラリアに遊びに来ても2週間ともたず「ここは窮屈で嫌だ」といって帰ってしまう、という。
ああ、日本の田舎にもそういう年寄りはいるねえ、という話で盛り上がり若いモンはなんでもある都会がいいと思うけど、という話になり
ジョイス(そのお姉さん)は力を込めて「物は何もないけど田舎には自由があるから」と言っていた。
思うに、ふだん何もない生活をしている人はない生活にもある生活にも適応できるけど、なんでもある人が何もない生活に適応するのは難しいのではないか。
しかし、このおばあさんはもう、ありすぎる生活には適応できなくて、ありすぎるっていうのはむしろ不自由なんだと拒否している。
もしかしたら、それは日本とかオーストラリアとか、ありすぎる世界では究極の贅沢なのかもしれない。自由だけあったら人間は生きていけるのだよなあ。
彼女のおばあさんはパプアニューギニアの電気もガスもなにもないど田舎に住んでいるのだが、オーストラリアに遊びに来ても2週間ともたず「ここは窮屈で嫌だ」といって帰ってしまう、という。
ああ、日本の田舎にもそういう年寄りはいるねえ、という話で盛り上がり若いモンはなんでもある都会がいいと思うけど、という話になり
ジョイス(そのお姉さん)は力を込めて「物は何もないけど田舎には自由があるから」と言っていた。
思うに、ふだん何もない生活をしている人はない生活にもある生活にも適応できるけど、なんでもある人が何もない生活に適応するのは難しいのではないか。
しかし、このおばあさんはもう、ありすぎる生活には適応できなくて、ありすぎるっていうのはむしろ不自由なんだと拒否している。
もしかしたら、それは日本とかオーストラリアとか、ありすぎる世界では究極の贅沢なのかもしれない。自由だけあったら人間は生きていけるのだよなあ。
by warabimochi57
| 2006-05-25 22:12