筍ふたたび
2006年 05月 17日
うちの近所では最近「おはよう」代わりに「おまンとこ筍どうや?」が挨拶になっている。しかしもはやこの季節に朝昼晩と筍を食べていないような家は一軒もない。筍飽和状態である。飽和どころか余りすぎて「好きなだけ持ってってくれ」という人がいくらでもいる。
私は「いのししにやってはどうか?」と提案したのだが却下された。まあいのししはいのししで欲しけりゃその辺の竹やぶでなんぼでも掘り返して食べているに違いないのでことさら人間が掘り返したものをやる必要はないのだが、言って聞かせて筍は(人間が食べる分を残して)好きなだけ食べてもよいから畑に出てくるなということはできないのだろうか。
贅沢のようでもあり、しかし子供の頃、30年前の田舎には明らかにまだ残っていたつましいつましい食生活の延長のようでもある。
筍が終われば夏が来る。そのころには復活、といきたいな。
私は「いのししにやってはどうか?」と提案したのだが却下された。まあいのししはいのししで欲しけりゃその辺の竹やぶでなんぼでも掘り返して食べているに違いないのでことさら人間が掘り返したものをやる必要はないのだが、言って聞かせて筍は(人間が食べる分を残して)好きなだけ食べてもよいから畑に出てくるなということはできないのだろうか。
贅沢のようでもあり、しかし子供の頃、30年前の田舎には明らかにまだ残っていたつましいつましい食生活の延長のようでもある。
筍が終われば夏が来る。そのころには復活、といきたいな。
by warabimochi57
| 2006-05-17 21:39