感動を先取りするな
2016年 11月 06日
「これ面白いよ」はいいけどどこがどう面白いかまでを解説してしまっては面白さは半減する。感動を熱く語ってもしばしば「ふーん」で流されてしまうのは、自分でできたかもしれない感動を先取りされた恨みではないか。
何が面白いかは教えてはいけない。特に教師と生徒の場合は、力関係があるのだから先生の感動を押し付けてはいけない。それは抑圧である。聞いてくれる人がいる時、つい自分の感動を熱くなってるる語りたくなるものであるが、おいしいところは自分で発見しなくてはならない。そうでなくては一番おいしいところはもう食べちゃった魚も同然である。一方で「この感動をわかってもらえない」のは寂しいが人生はそういうものである。
面白いかもよ、と示唆だけをくれる先生たちに恵まれたことを幸いに思う。人はこれを学恩というのだろう。
何が面白いかは教えてはいけない。特に教師と生徒の場合は、力関係があるのだから先生の感動を押し付けてはいけない。それは抑圧である。聞いてくれる人がいる時、つい自分の感動を熱くなってるる語りたくなるものであるが、おいしいところは自分で発見しなくてはならない。そうでなくては一番おいしいところはもう食べちゃった魚も同然である。一方で「この感動をわかってもらえない」のは寂しいが人生はそういうものである。
面白いかもよ、と示唆だけをくれる先生たちに恵まれたことを幸いに思う。人はこれを学恩というのだろう。
by warabimochi57
| 2016-11-06 21:56