感動を先取りするな

「これ面白いよ」はいいけどどこがどう面白いかまでを解説してしまっては面白さは半減する。感動を熱く語ってもしばしば「ふーん」で流されてしまうのは、自分でできたかもしれない感動を先取りされた恨みではないか。

何が面白いかは教えてはいけない。特に教師と生徒の場合は、力関係があるのだから先生の感動を押し付けてはいけない。それは抑圧である。聞いてくれる人がいる時、つい自分の感動を熱くなってるる語りたくなるものであるが、おいしいところは自分で発見しなくてはならない。そうでなくては一番おいしいところはもう食べちゃった魚も同然である。一方で「この感動をわかってもらえない」のは寂しいが人生はそういうものである。

面白いかもよ、と示唆だけをくれる先生たちに恵まれたことを幸いに思う。人はこれを学恩というのだろう。
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Commented by でんでん at 2016-12-01 23:07 x
同感。
映画の予告編を見て面白そうだと思い、
実際に観にいったら面白いところはあらかた
予告編で流してしまっていた、ということは
よくあります(特にハリウッド映画)。

私は本を読んで面白かったとき母に貸すことが
結構あるのですが、
母も忙しいし、これは貸さないかな、と
思ったときだけは、ちょっと「どこがどう
面白かったか」を語ってしまうことがあるんです。
そしたら今年は私が処分する(捨てる or 市に
寄付する)予定だった本を大量に母が
拾ってしまい、楽しげに読み始めているので、
あんなに語らなければよかった、と、
ちょっと反省中です。(笑)

授業で使う自作の補助プリント、私はそれぞれの
タイミングで授業中に渡していくのですが、
学校によっては「最初に全部渡せないのか」と
言われることもあります。
だけど、それだと感動がなくて、結果として、
覚えるパワーが減少しちゃう、というのが
見えているので…。
このへんがわかってもらえないことがあり、
なかなか苦労します。
Commented by さつき at 2016-12-05 01:50 x
でんでんさん、

コメントありがとうございます。週末は学会で毎晩飲んだくれておりましてお返事が遅くなりまして失礼しました。

これ、語る側はやっぱ語りたいのがジレンマですよね。あんまり熱く語り過ぎないのが重要なのかも。最近は推理小説を読んでも犯人を忘れてしまうので、何回でも楽しめるようになりましたが。
by warabimochi57 | 2016-11-06 21:56 | Comments(2)

謹製 さつき


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