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祝杯

毎年越冬にやってくるオオワシが姿を見せないので多くの人がやきもきしていて、彼女もおばあちゃんだしもしかしたら...などと悪い想像をしないでもなかったこのごろ、今日になってついに飛来が確認されて多くの人が祝杯を挙げているという。

その故郷の町に私はたまたま帰っていたのだが、オオワシさんを見に行くことはできなかった。老境に入って日常生活にほんの少し不自由をきたしていた父を一人でみていた母が倒れてんやわんやのさなかだった。

入院して数日、当初から意識ははっきりしていた母は、目に見えて回復に向かっている。今後リハビリでどこまで回復できるかはわからないけれどもまずは生き延びた。

親が倒れて祝杯を挙げるのもなんなのだけど、駆けつけてくれた叔父や伯母たちとも有難い、有難い、生き延びてくれた、やれ嬉しやという言葉を繰り返すばかりだった。

後のことはなんとかなる。妹たちと交代しながら、田舎だけに頼もしい親戚の助力も得て母のことも、母が病床から気遣ってやまない父のこともなんとかうまくやっていけるだろう。

数日振りに京都に帰って自分の巣にこもり一息つく。当面は母と父のことを中心に仕事もいろいろと融通をきかせてもらいながら忙しい日々になると思うけれどぼちぼちといつもどおりにやろう。遊ぶことも休むことも手を抜くことも、それは身についた習性だから忘れない。どんな修羅場でも必ず手を抜く自分の習性をこれほど有難いと思う日が来るとは思わなかった。

私は、言語学を本格的にやり直そうと決意したばかりだった。修士からやり直したいなあと思い具体的な手順はどうしようか、旧の大阪外大に戻りたいと色々考えて楽しんでいた。それは今すぐは絶対に無理だし長期的な見通しは全く立たないのだけれどあきらめる必要はない。むしろ腰を据えて何年かかっても構わないからゆっくりと攻めていく。

今年もよくぞ飛んできてくれたオオワシさんと、しぶとく生き延びてくれた母の命と、何が起こるかわからないけどまあなんとかなっていくであろう人生に、ささやかな祝杯を挙げる。
by warabimochi57 | 2011-12-04 22:30

謹製 さつき


by warabimochi57